からくりおけ(絡繰桶)
畑の作物に水やりをするための道具です。天秤棒(オークという木の棒)の両側に水の入った桶を掛け、肩に担ぎ、早足で歩きながら、作物に水をかけることができます。
「からくり」というのは「仕組み」のことです。
この桶は、上部にある針金を引くと桶の底の穴が開く仕組みになっていて、一回一回ひしゃくで水を汲んで水やりをするよりは早く広い範囲に水やりができました。
仁井田地区の畑は砂地で乾燥しやすいので、良い作物作るためには大量の水が必要でした。一荷(天秤棒の両側に荷物をかけ肩に担う荷物の量)が80kg以上もあり、それを担いで、速足で、広い畑に水やりをすることを何度も繰り返す作業はとても大変だったそうです。まだ水道がなかった時代のことです。
三里独特の散水桶と言われていますが、大阪(河内)の商人が伝えたという話もあります。
水とのたたかい
三里の地勢は、120m前後の丘陵を背後にした海岸砂地と浦戸湾口に突出した海岸砂丘から成り立っています。気候はとても温暖で冬の日照時間にも恵まれ、住みやすい土地柄です。しかし土質が荒い砂土であるため、土地の条件は決して恵まれていません。 砂地ゆえの苦労は、「水やり」という労働を生産者に義務づけます。三里の園芸の人々はこれを「水とのたたかい」といいます。 現在はスプリンクラーで散水をしていますが、昔は桶をかついで毎日水をやりました。カラクリ桶は、かついだまま、桶についているヒモを引くと、桶の底がすこし開いて、水が適量流れるしくみになっています。1955(昭和30)年ごろ、大がかりな潅水事業が完成するまでの間、このカラクリ桶は、なくてはならないものとして使われ、砂地で野菜を育てる三里の農家の苦労の象徴でもありました。 三里中学校第3回卒業生が「いまの子どもは幸せだ。昔はいやでも水くみがあった。水くみがいやで、学校に行くと、親が、水をくまんかといって学校まで追わえて来た」と話してくれたことがあります。
(高知市立三里中学校開校50周年記念誌「ふるさと三里」-戦後の園芸と造船の復興-より)
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